デンマークのフォルケホイスコーレでは、複雑で困難な状況をマネジメントするというような授業がありました。私はデンマーク語のその授業をとることはできませんでしたが、それ以外にも文化とコミュニティや国際政治問題などの英語の授業を通して多少なりとも学校全体で「答えのない問題を考え、議論し、行動し、変えてゆく」という土台を何度もリフレッシュ(更新)していることを感じました。
日本でもフォルケホイスコーレを作ろうという動きが若い世代を中心にありますが、私は正直なところ、デンマークの文化をそのまま日本に持ってくることはできないのだから、難しいことだろうなと思っていました。しかし最近になって、彼らの文章を読む機会を得て、私の思いはどうも「ついていけていない」考えらしいことがわかってきました。
デンマークの文化をそのまま持ってこれないことも、デンマークのような個人主義や民主主義を根付かせることが困難なことも呑んだうえで人生に必要なものをきちんと考える場として作りたいということのようでした。自分は若い世代の何が問題意識になっているのかを理解できていないのだということを思い知らされるとともに、最初に述べたように、「答えのない問題を考えて議論し行動し変えてゆく」という現代のフォルケホイスコーレの理念をそのまま実現しようとすることがまさに「正解」なのかな、と感じました。
と同時にこの「正解」という言葉、私が受けた教育は誰かが正解を与えてくれるということを信じる教育でした。テストには正解があり、教科書を覚えれば正解を書くことができました。デンマークでは正解はない、というところから出発するようでした。それは日本においてもこれからもっと注目されることになるような気がします。
デンマークでの経験をいろいろと発信している「デンマーク10分レポート」
今回は信頼とプライバシーというタイトルで動画を作りました。
うんと広い範囲で市民同士が信頼しあえたり、政府への信頼が厚いというのはどういうことなのか、自分なりに考えてみました。会話をキャッチボールに例えてプライバシーというグローブをはめて会話するのが議論しやすい形なのかなということと、ヒュッゲと呼ばれている居心地の良い空間を演出してリラックスして話せるようにするという一つのスキルがあるのではないかと思いました。
13分弱です。よろしければどうぞ。
「10分レポート 信頼とプライバシー」
プライバシーというと、何か重たくて自分でもなかなか触れたくないような印象がありました。
プライバシーを意識するときってどんな時かなと考えたとき、やはり人と話をしているときかなと思います。または個人情報という言葉にかかわるときかもしれません。いずれにしてもプライバシーというのはなんだか固定されているような印象があります。
コミュニケーションが叫ばれている現代ではプライバシーというのはもっと機動的になったほうがいいんじゃないかと思います。つまり、つまり自分が見せたくないものを登録する、自分が受け入れたくないものを登録する、といった感じです。そしてコミュニケーションの約束。皆だれもがプライバシーという箱を持って会話している。その箱に(気づかずに)触れてしまったら「それはプライバシーですよ」と言う。いわれたほうも「OK」と言う。
もちろん話の流れでその相手とのプライバシーの項目は解除されたり新規登録されたりするでしょう。そのように機動的に使ってはどうかということです。
デンマークでは会話によって信頼関係を作っています。その際に大切なことの一つはこのように皆同じようにプライバシーの箱を持って話をしている、という風に思えたことでした。
最近「エモい」という言葉を聞くことがあります。エモーション(Emotion:感情)に訴えかけるというような意味合いのようです。
人間は感情の動物だ、といろいろなところで言われています。その通りだと納得していたのですが、自分の普段は平常心であって、感情に動かされているわけではないと思っていましたから、「エモい」という言葉も、何もないところに感情を呼び起こすようなものに対して使われるのだろうなと思いました。
しかし、デンマークから帰って体験を整理したりもう一度考えたりしているうちに「自分をよく観察する」というところで、平常心の自分も感情に動かされているのではないかと思い始めました。感情は大きくなればそれを観察するのは(嫌ですけれど)簡単になります。しかし今、文章を書いているようなときにもよく観察すれば小さないくつかの感情が自分を行動させていることが感じられます。このような観察はそれほど嫌ではありません。
デンマークのフォルケホイスコーレの講義では、「自分をよく観察してベストを日常にしなさい」という言葉がありました。なるほど、自分の感情を観察するということについて見れば、「自分の感情を最善にコントロールする術を身につけなさい」ということなのかな、と納得しなおしたことでした。
デンマークのフォルケホイスコーレに留学したおかげで、それまで漠然としていた、「個人主義」とか「民主主義」という言葉への理解が深まったように思います。今までは「個人主義」というと何かマイナスのイメージを持ったり、「民主主義」というと大仰な、重たいイメージを持ったりしていましたが、だいぶニュアンスの違ったものだということを感じました。
特に、最近気づいたことは「プライバシー」のとらえ方です。今まで「プライバシー」というと人に見せたくない自分の一部分、といった印象を持っていたのですが、個人主義のデンマークではそれに加えて多様な他人を受け止めるための知恵のようなものだと気づきました。
まわりの人々が多様であることは、その中には自分には理解できない、受け入れられない側面を持つ人も当然いるわけで、これは人によって異なります。それもプライバシーとして自分のものとしておき、お互いにプライバシーには立ち入らないようにすれば、見せたくないもの、受け入れたくないものはお互いが尊重して触れないので、安心して会話が進められるのではないでしょうか。
帰国して10ヵ月、ようやくいろいろなことが見えてきたように思います。