思い出話を少し。
20世紀も末の頃、マイコンという種族がありまして、今では信じられないことではありますが、彼らは半角文字だけを解し、ちょっと無理をして半角カタカナをなんとか表示できたものです。頭脳は2メガヘルツ、データ長は8ビットで、それはそれは可愛らしい種族でありました。
80という名前が88に変わる頃、彼らは「KANJI」を表示したり印刷することに挑戦し始めます。「KANJI」とは全くの記号であり、一文字見つけるのがそれはそれは大変な作業でした。KANJI-ROMというKANJIの詰まったパッケージを内蔵した種族が「単KANJI変換」という手法を採用し始めたのです。
88という名前が98に変わる頃、頭脳はすでに8メガヘルツ、16ビットになり、「文節変換」という、考えが途切れにくい手法がでてきました。まだ単文節だの連文節だのという言葉がありました。
これ以降の進化のスピードはこの牧歌的な文章ではとても追いつきません。それでも20世紀の間は日本語というと、およそ「全部入力するもの」でありましたし、「漢字変換」でありました。
現在「日本語変換」というと、漢字にとどまらず、外来語、英単語、記号、適切に判断してしかも時流に合った言葉に変換してくれます。郵便番号から住所が出てきます。日本語変換モードを忘れていて、ローマ字のまま検索窓に入力しても日本語で検索してくれます。1+2で検索すると3という結果が出たりもします。
一文字入力すれば、一文が予測されて出たりもします。
変換という機能を超えてきているなあと感じます。
当たり前というのは、ありがたいものです。
«
おっとり講座 ||
可能性 »