デンマークのフォルケホイスコーレでは、複雑で困難な状況をマネジメントするというような授業がありました。私はデンマーク語のその授業をとることはできませんでしたが、それ以外にも文化とコミュニティや国際政治問題などの英語の授業を通して多少なりとも学校全体で「答えのない問題を考え、議論し、行動し、変えてゆく」という土台を何度もリフレッシュ(更新)していることを感じました。
日本でもフォルケホイスコーレを作ろうという動きが若い世代を中心にありますが、私は正直なところ、デンマークの文化をそのまま日本に持ってくることはできないのだから、難しいことだろうなと思っていました。しかし最近になって、彼らの文章を読む機会を得て、私の思いはどうも「ついていけていない」考えらしいことがわかってきました。
デンマークの文化をそのまま持ってこれないことも、デンマークのような個人主義や民主主義を根付かせることが困難なことも呑んだうえで人生に必要なものをきちんと考える場として作りたいということのようでした。自分は若い世代の何が問題意識になっているのかを理解できていないのだということを思い知らされるとともに、最初に述べたように、「答えのない問題を考えて議論し行動し変えてゆく」という現代のフォルケホイスコーレの理念をそのまま実現しようとすることがまさに「正解」なのかな、と感じました。
と同時にこの「正解」という言葉、私が受けた教育は誰かが正解を与えてくれるということを信じる教育でした。テストには正解があり、教科書を覚えれば正解を書くことができました。デンマークでは正解はない、というところから出発するようでした。それは日本においてもこれからもっと注目されることになるような気がします。
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