こんにちは。
スマホには音声で話しかけるとこたえてくれるという機能があります。
が有名です。
普段は日本語で呼びかけていると思いますが、これらには別の言語を追加することができます。
もし英語で話しかけて英語でかえしてくれたら、ちょっと自分の発音に自身が持てると思いませんか?
今回はそんな期待を抱いて、動画を作ってみました。
で挑戦してみました。設定の仕方(、戻し方)も解説しています。
よろしければどうぞ!
3年前の夏(2019)、デンマークに留学しました。といっても普通の大学や研究機関ではなく、フォルケホイスコーレという「成人向け市民学校」です。入学試験も成績もなく、全学生が寮に住み一緒に生活しながら自分を見つめたり様々な学習を体験します。日本にいるときには「なぜ、そんな無目的的なところに時間をかけていくのか?」という疑問が湧きます。
自分の場合は幸福度の高い国デンマーク王国の人々の暮らしを見たり感じたりしたいという「目的」があり、滞在するために他に手段がなかったということからフォルケホイスコーレに決めたという経緯があり、あまりこの疑問には関心がありませんでした。しかし、実際に言葉も文化も全く異なる環境の中で100名近い若者たちと共同生活をし、有り余るほどの時間をもらって自分で考え行動するという経験をしたことは当初あまり考えなかったフォルケホイスコーレという学校の持つ意味を考えることにつながりました。
入学試験も成績表もない、なんの資格も得られないこの学校では、日々時間に追われて考えることすら忘れてしまいそうな自分の人生であるとか、人とのつながりであるとか、自分が大切にしていることを思い出すとか、そういったことを半ば強制的に考えさせる仕組みを持っていました。授業科目のリストを見れば、語学、教育、医療、心理、スポーツ、造形、音楽、工学、ビジネスなどが並びますが、自分が興味を持つものを選び、授業は講義半分グループワークなどが半分といった具合で自分から何か行動することが心地よく楽しいものがほとんどでした。英語による2~3の授業以外は言葉がほとんどわからないのでボディランゲージを含むあらゆる手段を使ってコミュニケーションを図り生き延びなければなりませんでしたが、その事自体が新鮮な体験になりました。
全体の1/4にあたる2ヶ月半はコロナによる国のロックダウンで学校が閉鎖になり私を含む外国人留学生数名は学生の居ない学内の寮で静かに生活することになりました。学校内の施設は自由に使わせてもらえたので、ピアノを練習したりミシンでマスクを縫ってみたり、3Dプリンタでキーホルダーを作ってみたりとこれはこれでよい体験の機会になりました。それでも毎日が異様に静かで、気分転換に散歩に出ました。広い森林公園や海岸、牧場のまわりをよく歩きました。馬にのって散歩している人に出会って写真をとらせてもらったりしました。先生や近所の方も親切にしてくれてボート遊びに誘ってくれたり、学校独自のONLINE授業も日に2時間ほど行われるようになりました。当初2週間の予定だった休校は何度も延長されて2ヶ月半後の5月末にようやく学生が戻ってくることができました。
目的を持って出かけるということは大切なことですが、結果的には目的にとらわれているだけでは得られなかった体験ができ、それがまた目的を果たす大きな助けになったということが驚きです。このような体験が日本でも必要だという人々がいることも帰国してから知り、交流もはじめました。フォルケホイスコーレの学生や先生、地元の人々との交流もネットのおかげで続いています。自分を取り戻す、という言葉の意味を教えてくれた学校だったと思っています。
2年前、デンマークに滞在して来ましたが、まず新鮮に映ったのは一週間に37時間以上働いてはいけない、ということでした。月曜から木曜までは8時間、金曜日は5時間、という具合で土日はお休みです。スーパーなどシフトが組めるお店は8時から夜10時まで、年中無休というところもありましたが、普通のお店はだいたいこんな感じでした。また、私の在学したフォルケホイスコーレは全寮制で学生を見るために朝7時半から夜10時まで先生が交代で時間管理しながら勤務していました。午後3時半くらいに帰宅したり、午後から出勤する姿もよく見かけました。
早く帰るということは、一日の中である程度時間を割いてすることが仕事以外に結構あるということになります。自分のためであれ、人のためであれ、一日の中で重きを置く作業がいくつかあるということ、それができるように国が保障しているのは、日常生活としては日本とかなり変わるのではないでしょうか。きちんと切り替わっている時間があるという感じが強くしました。
それから、年間6週間の休暇が認められていて、長いバカンスをとるイメージがあったのですが、よく数えてみると、日本のようにたくさんの休日祝日があるわけではなく、たしかに日本よりは多いのですが、思ったほどではなかったという記憶があります。
一日を上手に時間配分して、いくつかの大切な仕事をしていくというのがデンマークの生活スタイルなのかな、と感じたものでした。
昨年デンマークから帰国して、その後も向こうのフォルケホイスコーレで一緒だった学生や先生や地元の人達と交流が続いています。またフォルケホイスコーレを経験した日本人同士やデンマークに関係する方々ともつながりが広がってきていて、とてもわくわくしています。
そんな中、いろいろな方とお話するにつけ、日本とデンマークでの社会の仕組みや文化が大きく異なっていることをいかに乗り越えて双方の良いところを活かしてゆくかということに腐心されていることがわかってきました。デンマークがあまりに良く見えすぎて、日本の良さを見失ってしまわないようにとか、その逆もまた然りということです。
若い方々が柔軟な思考と行動力でアグレッシブ(攻めの姿勢)に進めているのを眩しく眺めているところに、先日同年代の方がデンマーク人の考え方と禅の考え方を結びつけた話をしてくれました。
禅は、判断せずありのままに捉えることを大事にし、デンマーク人も対話するときに相手の意見をありのままに捉えようとするというのです。それが対話の安心感を生み、前向きな議論を促し、民主主義の底力になっていると。
苦労していたはずの二つの国の間に同じ点を見つけられたというのが、大変新鮮で共感を覚えました。
2019年夏から2020年初夏まで、デンマークのフォルケホイスコーレという成人向け学校に留学してきました。滞在中と帰国してからしばらくは、あまりの文化、歴史の違いと社会の仕組みの違いに自分が完全にリセットされてしまい、ただただ、毎日の生活と授業に必死でついていくといったところでした。
昨年は2月に始まった新型コロナ危機が3月にはヨーロッパに広がり、デンマークがロックダウンするという経験まですることになりました。幸か不幸かそのために得られた膨大な自分の時間を本当に何十年かぶりに考えたいことのために思う存分使うことができました。それを帰国してから1年以上かけて読み返し考え直して日々気づくことが出てきたというところです。
記録を読み返しながら、いつも思い至るのは、デンマークの個人主義ということです。個人主義というとなんだか他人のことはおかまいなし、自分のことだけを優先させる、そんなイメージを持っていたのですが、向こうで出会った学生、先生、地域の人たちはおおむね寛容で、気遣いがあり、よく話し、楽しむ人々でした。つたない会話でも話をすれば、自分と同じような感情を持ち、ご近所付き合いをし、集い、良い人生を送ろうとする、そういう意味では自分と変わらない人たちだと感じます。ですから、個人主義の先進国と言われているデンマークがこの滞在を通して自分の勘違いを教えてくれたのだと強く思います。
帰国して改めてフォルケホイスコーレの授業や集会の内容を振り返ってみると、面白いことに気づきます。「自分」の捉え方です。自分が良い人生を送るために、勉強し、考え、行動し、責任を持てということなのですが、良い人生がコミュニティにあるということも同時に主張します。その根底にある平等観は興味深いものでした。つまり、自分が自由にしているためには相手の自由も保証されなければならない。人の扱い・扱われ方がどんな時も差別されてはならないというのが基本でした。みんなが納得するような日本の平等観と自分が差別しないというデンマークの平等観、結果的には同じようなことかもしれませんが、ここから広がる社会システムや民主主義はだいぶ違う色になるのかもしれません。
2023年の大晦日になりました。 そろそろ今年を振り返る時間でしょうか。 今年もたくさんの方に支えら[…続きを読む]
年末になりました。クリスマスやお正月の準備が進んでいるのではないでしょうか。 さて、「ナス」といって[…続きを読む]
こんにちは。 スマホには音声で話しかけるとこたえてくれるという機能があります。 アンドロイドスマホで[…続きを読む]
[wp_objects_pdf] 今日も視覚障害の方へのパソコンサポートに伺いました。 画面の情報が[…続きを読む]
最近のデジタル化のスピードはすごいです。 そこでよく聞かれるのが「高齢者には難しすぎる」という声。 […続きを読む]